マーケット、エッジ、プロセス

マーケットについて <株価の変動する仕組み>

ビー玉が沢山入った透明な瓶を大教室に集まった学生に順々に見せていき、何個入っているかを予想させる実験があります。瓶を見てビー玉の数を予想した学生はその数を紙に書いて投票箱に入れるのですが、全員の投票を集計してみると面白い事に、その推定結果は実際のビー玉の数を中心とする正規分布になる事が知られています。

このような現象は「群衆の知恵」と呼ばれていて、牛の体重を当てる実験などでも同じような結果が出ています。

多くの人が参加する株式市場でも群集の知恵はある程度働いていると考えられ、だとすると株価は群集による予想の中央値、すなわちその株式の本当の価値であるという事もできそうです。

しかし、株式の価値はビー玉の数や牛の体重の様に絶対的なものではなくそれ自体が各投資家の推定値となっているため、適正株価の投票結果は綺麗な正規分布にはならないと思われます。

株価が一つの値に定まらず、時に本質的市場価値から大きく乖離する事がある点については前章で説明しましたが、その様な乖離は他にも次のような要因で起きる事があります。

1. 群衆の数が少ないとき

群衆の知恵は参加者が多いほど精度が高くなります。これは裏を返せば、群衆の人数が少ない時は値付けが一定の値に定まらなかったり、本質的価値からかけ離れた極端な株価が付いたりといった事が起きやすくなるという事です。

アップル社は一日に一億株、またマイクロソフトは一日に二千万株近くの株式が取引がされているので、これらの値付けに参加する群衆の数は極めて多いと言えます。これに対し日本の小型株などは一日に数百株しか取引の行われないものや、中には数日に渡り取引がゼロというものさえ存在します。このような群集の少なさから、小型株の値付けではエラーが起きやすくなっています

2. 情報が少ない

ビー玉の数を当てる実験では透明なガラスを通して中のビー玉を見ることができましたし、瓶の大きさも間近で確認することができました。しかし、会社の中で何が起きているかをつぶさに観察する事はできません。

そこで投資家は財務諸表やその他の情報から会社の状況を推測するのですが、開示する情報の質や量は会社によってまちまちです。

競合に情報を知られたくない会社や、契約上開示情報に制限がある会社、または情報開示に割く人材が足りなかったり、そもそも投資家に対する情報公開に消極的な会社などの場合、有価証券報告書や決算報告書などから得られる情報は非常に限定されたものになってしまいます。

また、大企業であれば多くのアナリストがレポートを書いていたり、適正価格のレンジについて意見を出したりしているので、そこから大きく外れた株価での売買は発生しにくくなります。

投資判断に用いる情報が少ない場合、また一定のガイドラインがない場合、各投資家が適正と考える株価の幅は自ずと広くなります。

3. 人間心理

最近ではアルゴリズムによる機械的な取引が増えましたが、それでも人間心理はいまだに株価の決定において大きな影響力を及ぼしています。

行動経済学や心理学によると、株式を売買する人間が陥りやすい代表的な認知的、心理的落とし穴としては以下の様なものがあります。

FOMO (Fear Of Missing Out)
ー 他人が儲けているのを見て居ても立っても居られなくなり、乗り遅れまいと高値で株を買ってしまう。

確証バイアス
ー 自分の意見を裏付ける情報のみを見て、自身の判断が正しいと誤って認識してしまう。

損失回避
ー 損失の痛みを回避するために売るべき株を売らない。

アンカリング・バイアス
ー 本質的価値に比べて高いか安いかではなく、自分が買った時の値段を基準として売買をしてしまう。

バンドワゴン効果
ー 他のみんなが買っているから、という理由で買ってしまう。

4. 強制売買

我々個人投資家は株を買いたい時に買い、売りたい時に売る事ができますが、機関投資家となるとそうもいかない場合があります。

例えば大型株だけに投資するファンドがあった場合、ポートフォリオに含まれる銘柄が値下がりして大型株の基準を満たさなくなると、それらはたとえ割安であろうと売却の対象となります。

また、投資家からお金を集めて運用しているヘッジファンドが一度に大量の顧客から解約申請を受けた場合、手放したくない銘柄でも顧客への返金のために急いで売却しなければならなくなる事があります。

この様な強制的売買は本質的価値とは関係のない売買であるため、価値と価格を引き離す方向に作用します。

ミスター・マーケット

ミスター・マーケットとはバリュー投資の父と飛ばれるベンジャミン・グラハムが考え出したキャラクターで、株式市場を擬人化したものです。このキャラクターは株式市場がどのように振る舞うのかを非常によく表しており、バリュー投資の世界では有名なキャラクターです。

ミスター・マーケットの仕事はビジネスの売買です。彼は毎日家にやってきてはビジネスの取引を持ちかけてきます。

しかし彼が提示する売買価格はほとんどの場合割安でも割高でもない凡庸な価格のため、取引はあまり発生しません。来る日も来る日も提案を断られたら普通はそのうち姿を見せなくなるものですが、彼はこちらがどれだけ取引を断っても全く気にしないという稀有な気質を持っているため、断られた次の日もそのまた次の日も懲りずにやってきます。

そんな律儀な彼ですが、残念なことに躁鬱病を患っており、時折会社の適正価値についての判断が全く合理性を欠いたものになってしまうことがあります。

躁状態の時、彼は気が大きくなっているため、こちらがやや高値を吹っかけたとしても言い値でビジネスを買い取ってくれます。また、逆に鬱状態の時は、彼は自分の持っているビジネスは全て価値がないと信じているため、それらを驚くほどの安値で譲ってくれます。彼と同調してビジネスの売買をすれば身の破滅ですが、彼の気分のムラをうまく利用する事ができればそこから利益を得る事ができます。

ミスターマーケットの弱みに付け込んで取引をするのは良心が痛むかもしれませんが、彼はそれについても全く気にしないのでこちらも気にする必要は全くありません。

バリュー投資で成功するために

“Successful investing is having everyone agree with you……….. later” – Jim Grant

投資で成功するためには市場のコンセンサスの逆を行き、そして正しいのが市場ではなく自分の方である必要があります。

誰もが他者を出し抜こうとしている投資の世界でそれを実行するには何かしらの「エッジ(強み)」を持つ必要があります。エッジの源として代表的なのは情報量によるエッジ、情報を分析する能力によるエッジ、経験によるエッジ、心理的要因によるエッジ、投資の自由度にエッジです。

情報量によるエッジ

他の投資家よりも多くの情報を持っていればそれだけ有利なポジションに立つ事ができます。インサイダー取引がほとんどの国で違法とされているのは情報量によるエッジがそれだけ投資において強力な武器となるからです。

しかし、インサイダー情報のような特殊なケースを除いては、インターネットの普及によって情報量によるエッジの強みは弱まっています。特に機関投資家がフォローしている様な大企業の場合は顕著です。

いまだに有力な情報量によるエッジが残っているエリアは、おそらく地理的な要因による情報量格差でしょう。日本語能力や、非言語的なコンテクストを汲み取る能力を武器とすれば、日本株を買う外国人に対して情報量でのエッジを確保する事はまだ可能です。

情報を分析する能力によるエッジ

これは単純に言えば頭の良さによるエッジです。

同じ素材を使っても料理の仕方によって味が変わるように、同じ情報でもそれを分析する人間によって投資判断は変わります。よって十分に頭が良ければ他人が気づかない様な隠れた価値を発見し、投資に活かすことができるかもしれません。

しかしながら、投資業界で働く人達は総じて頭脳明晰である傾向が強く、さらに学習意欲が高かったり、ハードワーキングである傾向もあります。

頭の良さで言えば投資のプロの世界ではヘビー級の戦いが繰り広げられているので、そのリングに上がって勝つ事はあまり期待しない方がいいでしょう。

経験によるエッジ

投資は科学ではなく職人芸のような性質が強いため、経験はエッジになります。失敗を重ねる事で投資家は慎重、謙虚になるので、経験によって軽はずみな飛び出し事故を減らすことができます。また、会社を分析する際に投資担当の社員や取引先の社員などと話をする機会もあるかもしれませんが、その様な場での情報の引き出し方なども、経験によって上達する分野の一つでしょう。

心理的要因によるによるエッジ

伝統的な経済学は「人間は常に合理的な判断をする」と言う前提に立っていますが、実際の人間は心理的、認知的バイアスから自由にはなれません。得に欲望や恐怖が絡む株式投資の世界ではそれが顕著です。

アイザック・ニュートンは誰もが知る物理学の巨人ですが、投資バブルに巻き込まれて多額の財産を失いました。また、後にノーベル経済学賞を受賞する事になる学者たちによって組成されたLTCMというファンドは、彼らが100万年に3回しか起きないと計算した事象が発生した事で破綻しました。

高いIQが投資をする上で有利に働くのは間違いありませんが、それだけではハンドルとブレーキを付け忘れたF1の様なもので、勝つことはおろか無事にゴールする事も危ういでしょう。

陥りがちな心理的トラップをよく認識してそれを意識的に回避することができれば、もしくは生まれながらにしてそのようなトラップに引っかからない様な気質が身についていたとしたら、それは有効なエッジになります。

投資の自由度によるエッジ

機関投資家は投資ができる会社の国籍、サイズ、業種などに制限がある事が多く、明らかに割安だとわかっていても投資できない場合などがあります。

また、客から預かったお金をただ現金として持っているだけでは仕事をしていないと思われるため、市場全体が加熱していて割安な銘柄がない場合などでも、何かしらの株式に投資をしなくてはいけないプレッシャーにもさらされる事もあります。

他にも、ポートフォリオ全体のボラティリティを下げるために多様な業種の会社を組み入れなくてはいけなかったり、比較的短期で結果を出すよう急かされたり、特定の業界への投資が禁止されていたりと、機関投資家は様々な制約の下に投資活動を行っています。

その点、我々は買いたいものがなければ買う必要はありませんし、いくつかの会社に集中投資してもお咎めはありません。さらに機関投資家がとても買えない様な中小型株も自由に買うことができたり、四半期ごとに利益を出す必要もありません。このような制約のなさは個人投資家が機関投資家に対して持つ最大のエッジかもしれません。

バリュー投資の手順

2021年末の時点での上場企業の数は日本だけでも4000社近く存在します。仮にこれら全ての有価証券報告書に目を通すとすると、一社に30分費やした場合、1,900時間かかります。これは一日10時間読み込んでも半年以上かかる量なのでとても一人でこなせる仕事ではありません。そこで、まずはじっくりと見る会社の数をいくつかの条件で絞り込んでいく事から始めといいでしょう。このような作業はスクリーニングと呼ばれます。

無料で使えるスクリーナーはいくつかありますが、ここではイギリスのFinancial Times社が運営しているスクリーナーを使って実際のスクリーニングの一例を見てみましょう(もちろんどこのスクリーナーを使ってもいいですし、絞り込みの基準も人それぞれなので、いろいろ試してみてください)。

国籍

まず「Country」で「Japan」を選択します。すると3,914社が残りました。

レバレッジ

レバレッジとはどれほど借入金を使ってビジネスをしているかという指標です。借入金を使えば利益を増幅させることができますが、損失が出た場合にはそれも増幅されるので、総資本に対して大きな借入金がある会社は一般にリスクが高いとされます。

そのようなレバレッジの高い会社を避けるために、「Total Debt to Capital」を0.1以下に設定してみましょう。すると企業数は1,198まで絞り込まれました。

Total Debt to Capitalが0.1以下というのは、総資本に対する借入金の割合が10%以下である事を意味します。借入金に由来するリスクの尺度としては他にも利払いと年間収益を比べて「Interest coverage ratio」などがあります。なお、お金の貸し借りが主な事業である銀行業などはこのような条件で絞ると弾かれてしまうので注意が必要です。

業界

次に、企業の所属する業界で絞ってみましょう。これは自分がよく知っている業界で絞ってもいいですし、逆に理解できなかったり、あまり興味のわかない業界を外してもいいでしょう。ここでは例として、「Consumer Discretionary(一般消費財)」、「Consumer Staples(生活必需品)」、「Technology(テクノロジー)」の3つに絞ってみます。すると、ここまでの条件に合致する企業の数は560まで減りました。

ここからさらにスクリーニングをかけて絞り込んでいく事も可能ですが、数値のみを使って掘り出し物に到達する事はほぼないため、ここからは実際に有価証券報告書に目を通すマニュアル作業に切り替えます。

560社全ての有価証券報告書に目を通して各社の概要を掴むのは不可能ではありません(先ほどの計算だと約1ヶ月かかる)が、もう少し絞りたいところです。そこで、次の様な基準で有価証券報告書を読み、不適格なものは切り捨てていきます。

・理解可能なビジネスか
・将来のキャッシュフローは予測可能か

理解可能なビジネスか

会社の本質的価値を推定するためにはそのビジネスをよく理解する必要があります。

もしも有価証券報告書を読んだりホームページを見たりして、何をやっているのかよくわからない、どうしても興味がわかない、となるのであればその会社はスキップして次の会社へ移った方がいいでしょう。

将来のキャッシュフローは予測可能か

会社の価値は将来のキャッシュフローによって大きく左右されるので、キャッシュフローの予測があまりに困難な会社は分析の対象から外すべきです。

薬を研究開発する会社、流行に売上が左右される会社、最新のテクノロジー企業などはどれも将来のキャッシュフローを高い信頼度で予測する事が不可能なので、アップサイドがどれほど魅力的でも避けた方が無難でしょう。

ここまでのスクリーニングで、投資候補の会社は100から200社ほどに絞り込まれるはずです。

次に、最終的に腰を据えて取り組む会社を絞り込むため、以下のような点について精査していきます。

  • 過去の業績の推移
  • 投資家を大事にしているか
  • 値段の大まかな妥当性

過去の業績の推移

有価証券報告書には通常、過去5年の売上や経常利益などをまとめた表が含まれています。これを見て、会社が成長中か衰退中か、売上は安定しているのかそれとも不規則なのか、利益率は拡大しているのか縮小しているのかなどについてざっと知ることができます。

ここで大事なのは、売上が縮小しているから投資対象にならない、といった様な単純なジャッジをする事ではなく、ビジネスに対するイメージを膨らます事です。オーガニックに成長しているのか、買収によって売上が伸びているのか、利益のどれほどがビジネスに再投資されているのか、その再投資の効率はどれほどか、といった事柄についてざっくりと思いを馳せる事で、そのビジネスの性質をより高い解像度で捉える事ができるようになります。

最初はとても難しい事の様に感じますが、練習を繰り返しているとあまり負荷を感じずに出来る様になってくるはずです。

ー値段の大まかな妥当性

実際に特定の会社の株式が割安かどうかは分析をしなければわかりませんが、明らかに割高な銘柄に関しては財務諸表と株価(時価総額)を比べることで比較的簡単に見つける事ができます。

有価証券報告書には過去5年の経常利益が記載された箇所がありますが、これの大体の平均値を10倍し、そこに最新のバランスシートにある「現金及び現金同等物」、「投資有価証券(流動資産)」を足し、そこから「あらゆる金融負債」、「退職給付に係る負債」、そして「非支配株主持分」を引いたものよりも時価総額が大きければ、その株が際立って割安である可能性は低いでしょう。

これは後ほど説明するエンタープライズ・バリューという概念ですが、このやり方を知っていると四季報通読などから有望銘柄を絞り込む際などに非常に役に立ちます。

ただし、成長を加味すれば実は割安な株、といったものなどは取りこぼしてしまう可能性がある点には留意が必要です。

以上の様な作業を終えると、通常数十社程度は面白い会社が残るものです。以降はその数十社についてじっくりと分析を進めていきます。実際の分析方法については後で詳しく説明します。

対象企業の研究には数週間から数ヶ月かける事もあり、散々調べた挙句に「買わない」という判断を下す事もよくあります。しかしその様な努力は全ていつか巡り合う大チャンスのための準備であるので、粛々とやっていきましょう。

ポートフォリオ

“The idea of excessive diversification is madness.” – Charlie Munger

ポートフォリオ(株式)とは持っている銘柄の集合のことです。

全資産をたったひとつの銘柄に投入してしまうと、その会社に何か不測の事態が起きて株価が暴落した場合などに甚大なダメージを負ってしまいますが、複数銘柄に分散して投資をすればそのような壊滅的なダメージを負うリスクを減少させる事ができます。そのため、資産運用に関するアドバイザーに投資の相談をすればほぼ間違いなく分散投資を勧められるでしょう。

しかし分散投資には、分散をすればするほどポートフォリオのリターンが市場平均に近づいていくという負の側面もあります。もしも市場平均のリターンが欲しいのであれば、最初からマーケット全体の投資するインデックスを購入した方が、時間や労力、手数料などの点ではるかにお得です。

それでは、どれほどの数の銘柄を組み込めばいいのでしょうか。

研究によると、どの様な銘柄を組み込むかにもよりますが、一般に10銘柄もあれば個別株の価格変動からくるリスクの8割以上は除去され、20銘柄ではその9割が除去できるそうです。

そのため、バリュー投資を始めたばかりでまだ自信がないうちなどはできる限り異なる業界の銘柄を20ほど組み込む事で、特定銘柄の株価下落から被る損失をかなり抑える事ができるでしょう。

しかし、銘柄選定をする上で最大のリスクは本質的価値の推定を誤ること、そして株式を購入する価格を間違えることにあります。

どれだけ分散したところで、全ての銘柄を高値掴みしていればそのポートフォリオの価値は大きな下落リスクに晒されています。また逆に、例え少数の銘柄で組成されたポートフォリオであっても、全ての銘柄を徹底的なリサーチに基づき大幅なディスカウントで購入していれば損失を被るリスクは小さいと言えるでしょう。

慣れないうちは銘柄選びに失敗する事も多いので、卵を複数のカゴに分散させるのは損失リスクを低下させるのに有効な手段です。しかし、目利き力が付いてきた後は卵を少数のカゴに入れて見張り続ける、という戦略の方がむしろ安全性が高くなるかもしれません。

ウォーレン・バフェットは一時、総投資資金の4割をアメリカン・エキスプレス株に注ぎ込みましたが、ここまで大胆な行動に出れたのは徹底的なリサーチにより同銘柄の安全性を確信する事が出来たからに他なりません。分散投資が過ぎれば一つの銘柄についてこの様に深く研究する事は難しくなっていくでしょう。

ポートフォリオの組成は各投資家の能力や好みによる所が大きいので、一概に何を何銘柄組み込んだらいいとは言えませんが、おおまかなルールとしては、もしも各銘柄の理解が乏しいと思うのであれば分散の度合いを高くする、と言う感じでいいのではないかと思います。

ただし、再度言いますが、会社をよく理解し、その価値よりも大幅なディスカウントで株式を購入する事に勝るリスク回避法はありません。