Your 資本コスト ≠ My 資本コスト
妻の実家の近くには、暴走族のイラストと共に「迷惑走行はやめよう!」と言うメッセージが書かれたた札が立っているのですが、これを見ると、迷惑走行を止める奴は最初からやってないだろ、といつもツッコミを入れてしまいます。「歩きスマホ危険!」と言う壁に貼られたポスターなども同じ様な感じですね。虚しい言葉。
決算説明資料などでは資本コストについて言及される事が増えてきましたが、これも一体誰のために公表されているのかなと考える事があります。
例えば、ある会社の資料で「我が社のROEは7%となり、資本コストである6%を超えました」とあった場合、何か意味がある様な気がしますが、投資家にとってこれは何の判断材料にもなりません。その理由としては、ROEサイドの問題と資本コストサイドの問題の両方があります。
まずROEサイドですが、ROEは、一定の資産に対してどれほどの利益を稼いだかを示すROAと言う数値にレバレッジを掛け合わせたものなので、どんどん株主資本を減らして負債を増やせば高める事ができる、というのがあります。借入をどんどん増やせばビジネス上の改善などなくてもROEは好きなだけ高められます。レバレッジ増によってROEが高くなっていたとしたら、むしろリスクが上がっているので単純に喜ぶべきことではないはずです。
借入を増やすのではなく資本を減らす場合も、自己株買いや配当で減らせる資本には限りがあります。そのため、これらを通じた株主資本の圧縮は短期的には投資家に恩恵をもたらす一方、持続可能な施策ではありません。
高いROEがレバレッジによるものではない場合でも、単年の数字だけを見ていては判断を誤ります。「今年のROEは20%でした」と書いてあった場合、なかなか高いROEだなと思い投資したくなるかもしれませんが、昨年のROEが22%、一昨年のそれが24%だったとしたら競合環境の悪化などが懸念されるため、黄色信号です。
この様に一筋縄では行かないROEの解釈ですが、資本コストの問題に比べれば可愛いものです。
というのも、資本コストと言う言葉の意味合いが、会社側と投資家側とで絶望的にずれているからです。具体的な説明に入る前に、資本コストとは何かについて軽く触れておきます。
資本コスト
「資本コストとは企業が資金調達をする際にかかるコストの事で、銀行借入などの際に支払う利息がこれにあたります。100万円借りて年間の利払いが3万円ならば、この調達コストは3%です。この様な借入金のコストは金融負債コストといいます。これに対し、株主から資金を調達するときに必要なコストが株主資本コストです。これは株主にお金を出してもらう際に必要となるコストなので、裏を返せば投資家がその会社へ投資をするために求めるリターンと考えられます。金融負債コストとこの株主資本を加重平均したものが、会社の資本コストです。」
資本コストのうち金融負債コストの定義は非常に明快で計算も簡単かつ正確ですが、どれほどの見返りがあれば株主は投資をするのかを表す株主資本コストの方は非常に計算が難しいです。というか不可能だと思います。
例えば今後数年間のリターンがマイナスになりそうな会社でも、投資家が酔っ払っていれば喜んで投資をする事もあり得ます。その場合の株主資本コストはマイナスです。そんなバカな話あるかと思うかもしれませんが、ドットコムバブルの時代にはまだ売上もない会社に多くの投資家が競って投資をしていました。集団酩酊の状態です。
また、投資した100万円が毎年10%づつ成長する株式と、10年目に260万円になるけど最初の9年間は全く増えない株式があったとします。これらは10年スパンで見ればどちらも年率リターン10%と全く同じ投資価値になりますが、10年間リターンなしの状態を受け入れられない投資家は後者にはお金を出しません。そのため、両者で株主資本コストは変わってきます。
この様に、株主資本コストは投資家の心理状況、経済状況、気質などによって変わってくるため、ただ一つの数式で求める事はどうしてもできません。しかし物理学に大きなコンプレックスを感じる金融理論の学者は、なんとかこれを計算可能なものにすべく、無理やりCAPMと言う金融モデルを編み出しました。
CAPMでは、株主資本コストはリスクが高い銘柄ほど高くなり、そのリスクとは「市場値動きに対する特定の銘柄の感応度」と定めています。日経平均が2%動いた時に2%動く銘柄と5%動く銘柄では、後者の方がリスクが高いと言う事です。ちなみにこの感応度はβ(ベータ)と呼ばれます。
しかし、株式のリスクは株価の感応度だけであるはずがありません。ビジネスモデル、経営者の能力、競合の状況、株式の流動性、様々なリスクがあるはずです。それなのに、これらを「株価の感応度」と言うただ一つの指標に落とし込もうとしている時点でかなり無理があると思います。
子供の成長には身長、体重の他にも協調性、自立心、共感性、心肺能力、骨密度、好奇心、腸内細菌、跳躍力、計算能力、言語能力、音感、など様々なものがありますが、自分の子供の成長を肺活量だけを基準として測っている親がいたとしたら、その人はクレイジーだと思いませんか?ましてや、それを基準にして、「肺活量が2000ccを超えているからあいつには私立中学を受験させた方がいいんじゃないか」とか、「肺活量が先月より低下しているから左足を切断しよう」と判断するのが輪をかけてクレイジーなのは誰にとってもも明らかです。なぜ金融の世界ではこれと同じくらいクレイジーなCAPMがこんなにも広く受け入れられているのか。甚だ謎です。
百歩譲って、株価の感応度があらゆるリスクを代表できているとしましょう。その様な前提で、次の様な状況を考えてみてください。
本質的価値が一株あたり3000円である会社があったとして、その株価が5000円だったとします。ある時、日銀が金利を引き上げると言うニュースが流れ、日経平均が10%下落しました。それに対し、この会社の株価は2000円にまで下落しました。下落率は60%です。この銘柄のベータは株価下落前よりも高まり、CAPMではリスクが高まったと言う判断になります。しかし3000円の価値がある株式を価格が5000円の時に買うのと2000円に値下げされた時に買うのでは、どちらがリスクが高いでしょうか?本当に株価下落後の方がリスクが高いですか?本当に?
これはあくまで「私見」ですが、CAPMを用いた資本コストは投資家にとって何の実用的価値も有しません。CAPMはCapital Asset Pricing Modelの略ですが、Modelの前の3語は妄想、戯言、虚言、ナルシシズム、自慰、投げやり、不毛、学者が食べていくために作った、といった言葉で置き換えた方がその本質をより正確に表せるでしょう。
そんな、投資家にとっては何の実用的価値もないCAPMですが、特定の企業にとっては利用価値があるかもしれません。株価の動き方だけをリスクとするCAPMを用いて計算した資本コストは、それ以外のリスクを多く持っている会社ほど、実際の資本コストよりも低くなるので、その会社の低いROEを正当化する口実として利用する事ができるからです。
実際に上場している商社の話ですが、この会社は経営者の能力、コーポレート・ガバナンス、株主への態度、株式の流動性、キャピタルアローケーションなど様々な面で多くの問題を抱えており、株価も長年にわたって低空飛行を続けています。その様な状況なので市場の値動きに対する感応度も低く、皮肉にもCAPM的にはリスクが低い銘柄という判断になっています。そしてこの会社の決算説明資料には、資本コストは4.6%なのでROE5%を目指します、という記述が見られます。5%というROEは上場企業としてはアウトなレベルです。しかし、資本コストよりも高いROEだよと言う文脈で見せる事で、経営者の能力不足やその他の問題をうまく隠すことができてしまうのです。
この様な誤解を与える様な表現は、投資家にとっては有害でしかありません。
株式投資を勉強したての投資家であれば、「会社の発表する資本コストが4.6%でROEが5%だから、PBRは1倍になるはずだ」と判断してしまう可能性があります。しかし、株式市場は会社の発表する資本コストは気にしません。気にするのは機会コストです。インデックスを買っておけば年率8%ほどのリターンが期待できる時、ROEが5%の銘柄を買えば3%の機会損失を被ります。そのため、合理的な投資家はこの会社の株を簿価で買うことはありません。よって、いつかPBR1倍に、と言う夢は夢のまま終わることになってしまう事になります。
この様に、会社が資本コストを公表する事で投資家が得るものは何もない、というのが私の考えですが、やや皮肉を込めて言えば、CAPMに頼ってあまりに非現実的な資本コストを提示している会社があれば一瞬でその会社に見切りをつけることができる、と言うのは数少ないメリットかもしれません。
もちろん、中には流動性の低さなどを株主資本コストに自主的に織り込んでいる会社や、CAPMを用いず8%程としている常識ある会社も存在します。この様な会社の経営陣であれば、頓珍漢なM&Aをしたり、大量のキャッシュを銀行預金で運用するリスクは低いと期待していいでしょう。
企業が資本コストを公表した時、資本コストの値そのものではなく、会社がそれをどう捉えているのか、株主に対してどう表現しているのか、という点に着目するとその会社に対して何かしらの洞察が得られ、より優れた投資判断につながると思います。
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